![護国神社](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3574-1024x617.jpg)
皆さん、こんにちは。じゅんたんです。
今回は滋賀県彦根市にある「滋賀県護国神社」についてご紹介します。
護国神社の御朱印もいただけたのでご参考ください。
護国神社について少しご説明します。
護国神社とは国家のために殉職した人の霊を祀っている神社で、
東京都と神奈川県を除く全ての都道府県に建立されています。
ここでいう霊(英霊)とは、戦死者、自衛官、警察官、消防士などの公務殉職者のことです。
今回は滋賀県の護国神社を訪れましたのでさっそくご紹介していきます。
目次
◆彦根城址にある滋賀県護国神社をご紹介
![護国神社](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3551-1024x576.jpg)
「滋賀県護国神社(しがけんごこくじんじゃ)」は滋賀県彦根市の彦根城址にあります。
目の前が彦根城のため、神社へ行く途中には天守閣を見ることもできます。
滋賀県護国神社には滋賀県関係の戦没者3万4千人の英霊が祀られています。
彦根藩主の井伊家とも関わりの深い神社です。
![鳥居](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3552-1024x576.jpg)
彦根駅から彦根城を目指して歩くと目の前に護国神社が見えてきます。
![英霊](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3573-1024x715.jpg)
鳥居前には英霊について書かれている看板がありました。
とても身にしみる言葉です。誰かのために自分の命を捧げることがどれだけ勇気のいることか。
僕たちが当たり前のように平和に暮らせているのも、
![平和の礎](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3572-1024x603.jpg)
境内に入ると目につくのが数々の慰霊碑です。
平和の礎は第二次世界大戦後のシベリア強制抑留者の慰霊碑です。
第二次世界大戦は日本のポツダム宣言受諾により昭和20年8月15日に終戦となりました。しかし、当時日本軍は陸軍、海軍ともに各地で戦線を広げていたため、海外に取り残されたまま帰国できない日本将兵がたくさんいたそうです。関東軍とよばれる陸軍は中国、旧ソ連と戦っていましたが、戦争に負けると旧ソ連軍に酷寒のシベリア各地に連行抑留され長期に及ぶ過酷な重労働を強制させられました。祖国日本への帰還の願い空しく、飢えと寒さと生き地獄の中、四百余名の将兵は力尽き無念の死を遂げました。
戦争が終わったのに祖国へ帰れないなんて本当に無念だったでしょうね。(泣)
![軍馬、軍犬、軍鶏](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3571-1024x833.jpg)
さらに先に進むと馬と犬と鶏の石碑があります。
戦没した軍馬、軍犬、軍鶏の霊を慰霊顕彰するためにつくられました。
戦争により傷ついたのは人だけではありませんでした。
祖国の護りのため英霊と運命を共にした軍馬、軍犬、軍鶏も多くが犠牲となったんです。
![平和の碑](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3570-1024x669.jpg)
隣にある石碑は彦根傷痍軍人会が「平和」を祈念して建立した石碑です。
![](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3569-1024x633.jpg)
さらに奥へ進むと「拓魂碑」とよばれる石碑があります。
満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)の慰霊碑になります。
1931年に起きた満州事変から1945年の日本の太平洋戦争敗戦時に至るまで、「満州国」・内モンゴル地区へ開拓事業として送られた44個団隊1800余名の開拓者たちがいました。現地の苛烈な気候風土を克服しあらゆる困苦欠乏に耐えながら着々と成果を上げていきました。しかし日本が戦争に負けると戦火に追われて混乱する治安のなかで、飢餓と病魔に襲われ約400名の命がその地で尽きてしまいました。中には14~15歳の少年もいて若くして命を落としてしまいました。
![花塚](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3567-1024x681.jpg)
花塚と呼ばれる石碑です。
生活にうるおいを与えてくれる花に感謝し、花と緑を永遠に保っていきたいとの願いから建てられました。
![父の像と母の像](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3565-1024x641.jpg)
父の像と母の像です。
家族や祖国を守るために戦地で戦う父と、父が無事に戻ることを願い家族や子供を守る母の姿です。
境内には他にもたくさん石碑があるので、訪れた時に確認してみてください。
![狛犬](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3562-576x1024.jpg)
狛犬の像もありました。
この時、僕の頭の中で思っていたこと。
「よし、お前の名前はレオ。ジャングル大帝レオだ。」
![手水舎](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3556-1024x576.jpg)
![手水舎](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3555-1024x604.jpg)
立派な手水舎もありました♪
![本殿](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3553-1024x576.jpg)
滋賀県護国神社の本殿です。
![境内](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3554-1-1024x576.jpg)
境内はとても広々としていました!
◆滋賀県護国神社で拝受した御朱印をご紹介
![御朱印](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3561-1024x575.jpg)
滋賀県護国神社でいただいた御朱印をご紹介します。
今回いただいた御朱印は3種類です。
滋賀県ということで井伊家の赤備えの甲冑の御朱印などステキな御朱印です♪
「浦安の舞」の御朱印
![浦安の舞](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3592.jpg)
通年いただける「浦安の舞」の御朱印です。
浦安の舞という平和を祈る舞を巫女さんが舞っている朱印が押されてます♪
- 通年授与
- 直書き
- 片面
- 枚数制限なし
「赤備えの兜」の御朱印
![赤備えの兜](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3593.jpg)
通年いただける「赤備えの兜」の御朱印です。
彦根藩主「井伊家」の赤備えの兜の朱印を押されています。
右上には一期一会の文字を書いてくださります。
- 通年授与
- 直書き
- 片面
- 枚数制限なし
「赤備え甲冑」の金文字御朱印
![赤備え甲冑金文字](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3589-1-659x1024.jpg)
期間限定でいただける「赤備え甲冑」の金文字御朱印です。
書置きでの授与となります。井伊家の赤備えの甲冑と金文字がカッコいいですね!
- 期間限定(期間不明)
- 直書き
- 片面
- 枚数制限なし
◆御朱印受付時間やアクセスは?
![授与所](https://jun-tan.me/wp-content/uploads/2019/10/DSC_3558-1024x576.jpg)
滋賀県護国神社の御朱印は境内にある授与所にていただけます。
受付時間は基本的には9時〜17時ですが、詳細は公式サイトをご確認ください。
- JR琵琶湖線「彦根駅」より彦根城方面へ徒歩10分
◆まとめ
これまで彦根城には行ったことがありましたが、滋賀県護国神社は初めての訪問でした。
歴史について触れることもできとても勉強になりました。
「自分が平和に暮らせているのも命をかけて日本のために人生を捧げてくれた人々がいたからなんだ」と
あらためてご先祖の方々に感謝したいです。
季節によって限定の御朱印もいただけるようなので、機会があればぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?
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◆滋賀県護国神社(しがけんごこくじんじゃ)
住所:滋賀県彦根市尾末町1番59号
電話:0749−22−0822
受付時間:9時〜17時 ※現地要確認
アクセス:JR琵琶湖線「彦根駅」より彦根城方面へ徒歩10分
駐車場:あり
出典元:滋賀県護国神社公式サイト